バイオグラフィー

バイオグラフィー

1933年宇都宮生まれ。

高校卒業後に上京、秋吉敏子のコージー・カルテットをはじめ数々のバンドに参加。

バークリー音楽大学への留学等を経て、日本を代表するトップミュージシャンとして、ジャズの枠に留まらない独自のスタイルで世界を舞台に活躍。

写真家としての才能も認められ6冊の写真集を出版。

2005年愛知万博では政府出展事業の総合監督を務め、音楽を通して世界平和のメッセージを提唱。

2016年オバマ前米大統領夫妻がホストとなりホワイトハウスで開催された「International Jazz Day 2016」に出演。

国内のみならず、海外に於いても精力的に演奏活動を行う生涯現役プレイヤーのその姿は、世界中の老若男女に勇気と感動を与えている。

写真集:『マイシャ』『アフリカン・ウィンド』『タムタム・プール・アフリカ』『ミッレ・ミリア』『バニシング・チベット』『One in the Same ~ 笑顔つなげて』

1933年栃木県、宇都宮に生まれる。
1948年ビング・クロスビー主演映画「ブルースの誕生」を観てクラリネットを始める。
1951年高校卒業後上京、アルト・サックスに変更し本格的に音楽活動を始める。
1953年秋吉敏子「コージー・カルテット」に参加。
1954年モカンボ・セッションに参加。(初レコーディング)
1956年秋吉敏子渡米後「コージー・カルテット」のリーダーとなる。
1958年ジョージ川口「ビッグ・フォー」(ビッグ・フォー+1)に参加。
1959年ジャズ専門誌「スイングジャーナル」のアルト・サックス部門人気投票で1位を獲得。
1960年「ウエスト・ライナーズ」と「八城一夫カルテット」に参加。
1961年初リーダー・アルバム『渡辺貞夫』を発表。
1962年米国ボストン・バークリー音楽院に入学。
1965年チコ・ハミルトン、ゲイリー・マクファーランドなど数々のバンドに参加。「セルジオ・メンデスとブラジル65」の音楽を聞いてブラジル音楽に興味をもつ。 日本へ帰国。
1966年国内で自身のカルテットやセクステットを結成し精力的に活動する一方、日本のミュージシャンにジャズ理論を教える。
1967年チャーリー・マリアーノと『IBERIAN WALTZ』をレコーディング。『JAZZ & BOSSA』を発表、ボサノバ・ブームを巻き起こす。
1968年単身ニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演し、ビリー・テイラー等と共演。ブラジル・サンパウロで現地のミュージシャンとの共演アルバム『SADAO MEETS BRAZILIAN FRIENDS』をレコーディング。
1969年ラジオ番組「ナベサダとジャズ」をニッポン放送で始める。CBSソニーより『PASTORAL』を発表。
1970年モントルー・ジャズ・フェスティバルに日本人カルテットで出演、アルバム『SADAO WATANABE AT MONTREUX JAZZ FESTIVAL』として発表。ニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演。チック・コリア、ミロスラフ・ヴィトウス、ジャック・ディジョネットとアルバム『ROUND TRIP』をレコーディング。
1971年ゲイリー・ピーコックと日本人ミュージシャンでアルバム『PAYSAGES』をレコーディング。
1972年初めてのケニア旅行。アフリカのリズムに影響を受けた『SADAO WATANABE』をレコーディング。FMラジオ番組「渡辺貞夫マイ・ディア・ライフ」を開始、以後17年間続く。デュボワ「ディヴェルティメント」をサックスで京都市交響楽団と共演。
1973年モントルー・ジャズ・フェスティバルに出演。名古屋フィルハーモニー交響楽団と共演。大阪文化賞受賞。
1974年ジャズ・オブ・ジャパン’74に参加。
1975年モントルー・ジャズ・フェスティバルに出演。映画音楽作曲のためアフリカを旅する。
1976年インド・ジャズ・フェスティバルに出演。ハンク・ジョーンズ率いるグレート・ジャズ・トリオと『I’M OLD FASHIONED』をニューヨークでレコーディング。
1977年デイヴ・グルーシン、リー・リトナーらと『MY DEAR LIFE』をレコーディング。第一回ライブ・アンダー・ザ・スカイに出演。昭和51年度(第31回)芸術祭大賞受賞。第2回南里文雄賞受賞。
1978年ロサンゼルスでレコーディングした『CALIFORNIA SHOWER』が大ヒット、ゴールドディスクを受賞。
インドで開催された第一回ジャズ・ヤトラに出演。
1979年デイヴ・グルーシンらと『MORNING ISLAND』をレコーディング。
1980年「渡辺貞夫リサイタル・アット武道館」を開催し3万人余りを動員し、ライブ・アルバム『HOW’S EVERYTHING』をリリース。全米ツアーを行う。
1981年ニューヨークで『ORANGE EXPRESS』をレコーディング。全米ツアーを行う。
1982年FM東京ラジオ番組「渡辺貞夫マイ・ディア・ライフ」の収録をロサンゼルス、ニューヨーク、ジャマイカで行う。
1983年ラルフ・マクドナルドのプロデュース・アルバム『FILL UP THE NIGHT』をリリース。
1984年『FILL UP THE NIGHT』が「ラジオ&レコーズ」の西海岸チャートで1位を獲得。『RENDEZVOUS』をリリース、ビルボード全米ジャズ・チャートで2位を獲得。ロバータ・フラックをゲストに迎えてBRAVAS IN SOUND ’84 “RENDEZVOUS”を武道館で開催。第1回宇都宮市民栄誉賞受賞。
1985年ロサンゼルスで初のセルフ・プロデュース・アルバム『MAISHA』をレコーディング。クラブ・スタイルの音楽イベント「渡辺貞夫ブラバス・クラブ」を開催。
1986年昭和60年度(第36回)芸術選奨文部大臣賞受賞。モントルー・ジャズ・フェスティバルに出演。
1988年ブラジルにて『ELIS』『MADE IN CORACAO』をレコーディング。『ELIS』は「ラジオ&レコーズ」のジャズ・チャートで1位を獲得。ロサンゼルス名誉市民賞受賞。
1989年ジョージ・デューク、ロビー・ブキャナン、ラッセル・フェランテのプロデュースによる『FRONT SEAT』を発表。全米ジャズ・チャートの1位を獲得する。
1990年日比谷公園で開催されたネルソン・マンデラ歓迎東京集会で演奏する。「渡辺貞夫ブラバス・クラブ」の名称が「キリン・ザ・クラブ」へと変わる。
1991年シンガポール、ハワイ、ロンドンでコンサートを行う。
1992年アフリカ、カナダ、全米ツアーを行う。クリスマス・コンサート「A NIGHT WITH STRINGS」を初めて開催。
1994年セザール・カマルゴ、マリアーノのと制作した『IN TEMPO』をリリース。平成6年度外務大臣表彰受賞。
1995年平成6年度都民文化栄誉章受章。故郷、栃木県の中学生達にブラジルの打楽器を使用して、リズム教育を始める。全米ツアーを行う。ブラジルで演奏する。バークリー音楽大学名誉博士号授与。紫綬褒章受章。
1996年「阪神淡路大震災メモリアル・コンサート」でレイ・ブラウンと出演。
初めてのチベットの旅で、演奏することへの新たなる意欲、喜びが生まれる。
クリントン大統領訪日の総理主催午餐会で演奏。
1997年テレビ番組収録のため、チベット、インドを40日間旅行。
1998年ダライ・ラマ法王14世に謁見。モントルー・ジャズ・フェスティバルに出演。
1999年通算60枚目のリーダー・アルバム『REMEMBRANCE』を発売。全米ラジオ・チャートGAVINで1位獲得。全米ツアーを行う。
2000年サントリーホールでの「バッハ オルガン スペシャル・コンサート」に於いてピアニスト小林道夫の伴奏でバッハを演奏。リチャード・ボナと共同プロデュース・アルバム『SADAO 2000』リリース。
2001年音楽生活50周年記念ツアー「マイ・ディア・ライフ」を国内とロサンゼルスで開催。アジアとヨーロッパでツアーを行う。
2002年第1回栃木県民栄誉賞受賞。
2003年「キッズ・フォー・バンビーニ」と題したイタリア3都市でのチャリティー・コンサート開催。
モンブラン国際文化賞2003受賞。
2004年政府出展事業のメッセージ・ソング「シェア・ザ・ワールド~心つないで」を発表。
2005年愛知万博「愛・地球博」にて政府出展事業催事となる「ジャパンデー・ジャパンウィーク」と「地球サウンド」をプロデュースし、世界の子ども達400人が集う「リズム、歌、踊りの祭典」を披露する。40年ぶりに再会を果たしたチャーリー・マリアーノと共演。旭日小綬章受章。
2006年2枚のライブ・アルバム『ONE FOR YOU / SADAO & BONA LIVE』『SADAO & CHARLIE AGAIN』を発売。
全米ツアーを行う。初めてミャンマーへ訪れ、現地の子ども達と共演。ハンク・ジョーンズと3都市で共演。
2007年ジャカルタのジャワ・ジャズ・フェスティバルで世界の子供達と共演。クリスマス・コンサートではチャーリー・パーカーのレパートリーをラッセル・フェランテのアレンジでストリングスと共に演奏。
2008年サラゴサ万博では、スペイン、ポルトガル、日本、セネガルの子供たちと「世界の人々と心をつなぐ」メッセージを伝える”SHARE THE WORLD”コンサートを披露。アメリカ6都市ツアーを行う。
2009年ニューヨークで『INTO TOMORROW』をレコーディング。日本・カナダ修好80周年記念として、モントリオール、トロントのジャズ・フェスティバルに出演。第50回毎日芸術賞・音楽部門特別賞を受賞。
2010年ニューヨークのセントラルパークで開催された、ジャパンデーの”SHARE THE WORLD”コンサートで、70人の子供達と共演。南アフリカ、ヨハネスブルグで開催されたジャズ・フェスティバルに出演。アルバム『INTO TOMORROW』で共演したミュージシャンらとアメリカ4都市ツアーを行う。
2011年東日本大震災義援のための国内海外ライブ等に参加。国立音楽大学の招聘教授に就任。音楽活動60周年を迎え、DVD『SADAO WATANABE ORCHARD HALL TWO NIGHTS』、アルバム『COME TODAY』を発表。
また記念コンサートも5都市で開催。
2012年JICAの協力現場視察のためタンザニアとケニアを再訪。「札幌市芸術文化財団 芸術の森事業部 音楽・芸術監督」に就任し子供達のビッグ・バンドを指導する。「渡辺貞夫写真展 MBALI AFRICA」を銀座三越で開催。
2013年25年ぶりのブラジル録音によるアルバム『OUTRA VEZ ~ふたたび~』を発表。「第2回野口英世アフリカ賞授賞式及び記念晩餐会」では天皇皇后両陛下、アフリカ各国首脳ご臨席の下、福島県の高校コーラス部と共に”SHARE THE WORLD” コンサートを披露。日米混合のカルテットにてニューヨーク・ブルーノートに出演。
2014年ジャカルタのジャワ・ジャズ・フェスティバルに出演。アメリカ東海岸ツアーを行い、ワシントン・ジャズ・フェスティバルから”LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD”を受賞、ツアーの模様はBS TVで放送された。栃木県名誉県民の称号を受ける。アメリカ人リズム・セクションと日本人ホーン・セクションによる渡辺貞夫オーケストラで演奏したクリスマス・コンサートの模様をNHK BS TVにて放送。
2015年マレーシア、香港、タイ・ツアーを行う。2014年のクリスマス・コンサートの模様を収録したライブ・アルバム『I’M WITH YOU』をリリース。ブラジルのチェロ奏者ジャキス・モレレンバウムとの共同プロデュース・アルバム『NATURALLY』をリリース。ブラジル音楽への50年近くの功績を讃えられブラジル政府より「リオ ブランコ国家勲章」を受章。
2016年オバマ米大統領夫妻がホストとなり、ホワイトハウスで開催された「International Jazz Day 2016」で演奏。「ボツワナ共和国独立50周年」記念で現地で演奏。「日・ネパール外交関係樹立60周年」の記念で現地で演奏。アメリカ人リズム・セクションと日本人ホーン・プレイヤーよる渡辺貞夫オーケストラで『HOW’S EVERYTHING』収録曲を再演奏。
2017年前年のクリスマス・コンサートの模様を収録したライブ・アルバム『ENCORE!』をリリース。ビバップをテーマにした『RE-BOP』をニューヨークでレコーディング。東京JAZZ「CALIFORNIA SHOWER 2017」でデイヴ・グルーシン、リー・リトナー等と再共演する。2000年にサントリー・ホールで演奏したライブ盤『SADAO PLAYS BACH』を発表。
2018年ラッセル・フェランテ、ベン・ウィリアムス、ケンドリック・スコットらと紀尾井ホール等で演奏したライブ盤『RE-BOP THE NIGHT』をリリース。初のバラード・ベスト・アルバム『LOVE SONGS』をリリース。『渡辺貞夫の世界〜MY DEAR LIFE』10枚組(133曲)CD BOXセットをユーキャンよりリリース。
2019年日米混合のカルテットにてニューヨーク・ブルーノートに出演。野口久光×渡辺貞夫写真展を銀座和光で開催。アフリカ開発会議(TICAD7)開催記念写真展「アフリカ、胎動する大陸」に出展。スティーヴ・ガッド、ラッセル・フェランテ、ジョン・パティトゥッチと演奏し、ライブ・アルバム『SADAO 2019 LIVE AT BLUE NOTE TOKYO』としてリリース。
2020年『SADAO 2019 LIVE AT BLUE NOTE TOKYO』が「CDショップ大賞2020 ジャズ大賞特別賞」を受賞。
渡辺貞夫オーケストラでミューザ川崎の他公演。クリスマス公演としてカルテットに4人のホーンセクションを加えた『BOP NIGHT』コンサートを開催。
2021年70周年記念コンサート『JAZZ & BOSSA with Strings』をサントリーホールで開催し、ライブアルバム『ジャズ&ボッサ~ライヴ・アット・サントリーホール』をリリース。NHK 朝ドラ『COME COME EVERYBODY』のサウンドトラックに参加。クリスマス公演として『Salute To Duke Ellington / 渡辺貞夫オーケストラ』コンサートを開催。